「独立してやらぁ!」船井総研を意気揚々と飛び出したら3年赤字をブッこいた話

私は29歳の時に船井総研から独立し、コピーライターとしてビジネスをスタートしました。

当時、今は当たり前になっているLPと呼ばれる、縦長の一枚もののページ訴求が急速に普及し始めていました。

いわゆる『コピーライティング』という技法です。

船井総研に在籍していた自分はそれをみた時に「これ、俺できる!」と思い、「これだ!このネタならやっていけるかもしれない!」と独立を決意したのでした。

元々コンサル会社というのは一生務める仕事ではありません。

昇進するか?辞めるか?という雰囲気は当時、色濃く残っており、「私もおそらく辞めることになるだろう」と思いながら、26歳の時に入社しました。

もちろんコンサルと言えど、一人の社員は会社の「寄らば大樹の影」です。基本的に会社の看板で仕事をしていますから、その看板が外れた時に何ができるのか?そこが定義できないと独立することは物理的にできません。

独立しようにも、ネタがない。

そんな状態の自分にコピーライティングは眩しく見えました。今から思えば、若気の至りです。

まぁ、現実的に考えて独立を実行しようと思えば、向こう見ずな感じはやむをえない気もします。

はい、そんなこんなで勢いで独立してしまった私ですが、ぶっちゃけ大苦戦しました。コピーライターとしての能力がなかったわけではありません。むしろ今から振り返っても、29歳にしてはかなり優秀だったのではないでしょうか。

問題は、仕事の受注です。

今みたいにランサーズもない、ココナラもない。かろうじてtwitterがある程度。仕事を取ろうと思えば、オフラインの泥臭い営業が必要な時代です。

テレアポ、交流会参加、名刺交換、飲み会などなどいわゆる寝技です。

基本的に私は船井総研時代も営業は強い方でした。セミナー営業からの受注はなんとか形になっていましたし、経営者相手のトークも割とできたクチです。

『まぁいけるやろ』と思っていました。

はい、飛んだ勘違いでした。

まぁ取れない。ぜーんぜん取れない。

船井総研自体のパワポの資料を使い、同じようなセールストークを展開するんだけど、最後の最後で受注に至らない。

おかしい…。昔と何も変えていないのに。むしろ値段的にはリーズナブルになっているし、社長も喜んでくれている感じなのに。

なぜか正式な受注に至らずに、空振りに終わることが多かったのです。

はい、原因は明らかですね。

それまで私がなんとなく「営業はイケる」と思っていたのは、過信だったのです。

船井総研という東証一部上場企業の大手の看板、威光を使って仕事を取れていたに過ぎなかったわけです。

しかし、自分としては「独立してやらぁ!」と意気揚々と飛び出したわけですから、その現実を認めるわけにはいかず、なんとかかんとか現状を打開しようとしました。が、状況は一向に改善されません。

ものすごい速さでお金が減っていきます。

お金が足りない。支払いができない。

家賃滞納
社会保険滞納
年金滞納
市民税滞納

ということで家にたーくさんの督促状をいただく事態となってしまいました。

「この銀行通帳の数字は間違っているのではないか。もっとあるはずなのにおかしい。」と通帳と睨めっこすることも多かったです。(そんなわけないっ)

幸いなことにガス、水道、光熱費はギリギリ支払えていたので死ぬことはなかったのですが、文字通りギリギリの生活です。

厄介なことに私はだいぶと頑固なところがありまして、食費を削って、睡眠時間を削って、ガンバリズムでなんとかしてやろうとしていました。

ガッツはあったんです。しかしそれゆえに今起きている現実を直視しようとしなかった。

俺は大手の看板がないと、仕事が取れない…

この現実です。これを受け入れられなかった。これが問題を悪化させました。時間にして3年。限界に限界を重ねてどん詰まりになるまで追い込まれてしまいました。

いやー、長過ぎです。粘り過ぎです。もっと大人にならんと。

そもそも「大手の看板がなければ仕事が取れない自分」という現実は、1年もあれば十分に気づけたはずです。

その段階で転職活動をすれば、年齢的に30、31ですから十分に立て直しができた。そこから目を背けて、内側の問題を対処せず、外側を改善しようとした結果がこれです。

この記事を読んでいる人の中には、大手の社員の方もいれば、すでにフリーランスの人もいるでしょう。

ぜひとも自分の胸に手を当てて考えてみてください。

あなたは何か、誰かの傘の下に入ろうとしていませんか?誰かに縋ろうとしていませんか?もしそのムーブをあなたがとっているのならば、そもそも「起業、独立」に向いていません。

その誰かの威光を借りようとしている時点ですでにマインドとして負けています。

悪いことは言わないから起業はやめて、正社員に戻りましょう。そしてやりたいことがあるのならば副業で局面を打開できるように研鑽を詰むべきです。

私が会社を辞めようとした時は、まだ世間に「副業」という二刀流の概念がない時でした。29歳の若造が「会社員か独立か!」の二択の選択肢しか想像できなかったのは、無理もないことかなと思います。

まぁ振り返ってみれば、説教してやりたいところもありますが、「弱いくせに突っ張って、よく頑張ってたよ」と当時の自分にねぎらいの声をかけてやってもいいのかなと思います。

そんなこんなで結果として独立後、最初の3年は惨敗でしたが、こうしてブログのネタになり、誰かの勇気づけることになれれば本望と言えるでしょう。当時の怨念もこれにて成仏いたしました。

さて、その後、どうなったのか?

ギリギリの3年を潜り抜け、4年目に転機が訪れます。劇的に状況が改善することになります。

今の老害さんにも通じる圧倒的な強みの発見。ポジションの構築を成し遂げることになるのです。